2025.05.16
今までのSaaSスタートアップの常識「とにかく一点集中しろ」は本当に正しいか!?
ビル・ガーリーやデビッド・サックスといった著名な投資家たちは、SaaSスタートアップに対して「とにかく一点集中しろ」と助言しています。彼らは「ごく狭い領域に特化して始め、そこから徐々にスコープを広げていくべきだ」と説いています。
しかし、この主張に対して、Rippling CEOのパーカー・コンラッド氏は、真っ向から逆の主張をしています。
コンラッド氏によれば、「むしろこの考え方が原因で、世に出なかった素晴らしい会社がたくさんある」と。
さらに、この20年ほど業務用ソフトウェア業界は「一点集中で狭い機能を深掘りする」ことに囚われすぎており、その結果、企業は業務ごとに何十もの単機能ソフトを管理しなければならず非効率が生じているといいます。
「企業はビジネスを回すために100もの別個のソフトを管理する羽目になっている」が、それはソフトベンダー側が狭い製品を乱立させてきた副作用だとコンラッド氏は指摘しています。
まあ、そうだよねと思いますね。
クライアントの問題は1つの領域に収まらない
現代のビジネス課題は、単一のシステムや業務領域に閉じたものではありません。
たとえば、「売上が伸びない」という表面的な課題の背後には、営業プロセス、マーケティングオートメーション、人材育成、顧客管理など、複数のシステムや部署をまたぐ根深い要因が存在します。だからこそ、一つの「点」だけを解決しても、クライアントにとっての本質的な価値提供にはつながらないのです。
かつて「小さく始めて、大きく育てよ」という言葉がよく使われました。特にSaaS黎明期(2010年代前半)には、それが正解だった場面も多かったでしょう。小さな課題をうまく切り取り、シンプルなプロダクトで成長できる土壌がありました。
しかし、2021年以降のSaaS市場は様変わりしました。特定領域の課題にはすでに多くのプレイヤーがひしめき合い、ニッチ市場すら飽和しています。今では、「小さく始める」だけでは勝ちきれません。むしろ、最初に選んだ「一点」に執着しすぎると、後からの拡張性が失われ、結果としてプロダクトも会社も成長できなくなります。
コンラッド氏が提唱するコンパウンドスタートアップ(コンパウンド戦略)とは?
コンパウンドスタートアップとは、1社の中で複数のプロダクトやサービスを並行して開発・展開し、それらを深く統合して提供するスタートアップの形態です。単なる「マルチプロダクト戦略」と異なり、共有のデータ基盤や技術基盤の上に各プロダクトがネイティブに構築されており、互いにシームレスに連携・相互運用できる点が特徴です。
例えばRipplingでは従業員データという一元的なデータ基盤(Employee Graph)上に、人事・給与、ITデバイス管理、経費精算など複数のアプリケーションを構築しており、データや機能が横断的に統合されています。
従来のスタートアップアプローチとの違い
コンパウンドスタートアップは従来型の「フォーカス型(単一プロダクト型)」スタートアップとは根本的に発想が異なります。その違いをまとめると以下のようになります。
(1) 対象プロダクトの数 フォーカス型のスタートアップが一つの製品に経営資源を集中するのに対し、コンパウンド型では複数の製品を同時並行で開発します。
(2) 解決する課題の範囲 フォーカス型が特定領域の課題を単体のツールで解決するのに対し、コンパウンド型は複数の業務システムにまたがる包括的な問題を解決しようとします。言い換えれば、コンパウンド型は個々のツールでは対処不能な「調整・連携の問題」そのものを製品化するアプローチです。
(3) 収益モデル フォーカス型では単一プロダクト(単一SKU)で収益最大化を図りますが、コンパウンド型では複数プロダクトを束ねたバンドル全体で収益最適化を行います。複数の機能をパッケージとして提供・課金できるため、顧客にとってもコスト効率が良くなります。
(4) 顧客環境への影響 フォーカス型は既存システムに点でソリューションを追加するため、ツールの数が増えて管理が煩雑化しがちです。一方、コンパウンド型は分散した機能を統合して提供するため、システム全体の複雑さを削減できます。つまり前者が「新たなツールを増やす」アプローチなのに対し、後者は「ツール群を統合し一本化する」アプローチと言えます。
一部のVCからは「もはや単機能のスタートアップには投資したくない。機能一つでは護城河(競争優位)が築けず、予算が引き締まる中で顧客も単機能ツールにはお金を払いたがらない」という声も出ています。
コンパウンド戦略の課題
一見いいことづくめのように聞こえるコンパウンド戦略ですが、課題もあります。
最大の課題は実行難易度の高さで。優れた人材と十分な資金がなければ複数プロダクトの同時開発・高品質提供は困難です。「まず一つの製品でプロダクト・マーケット・フィットを証明してから」という従来セオリーにも一定の合理性はあり、多くのスタートアップにとって現実的な道筋であることも事実です。
コンパウンド戦略は成功すればリターンも大きい反面、リソースの分散によるリスクも増えるため、すべての企業に万能なアプローチではないという指摘もあります。
実際、コンラッド氏自身も「同時に多くを作る以上、全てをしっかり作り上げる必要がある」と語り、半端な品質の機能を増やしても評判を落とすだけだと注意喚起しています。
したがって、コンパウンドスタートアップを目指すには高度な人材採用・組織マネジメント力や明確な優先順位付けが不可欠であり、通常のスタートアップ以上に創業チームの手腕が問われるでしょう。
「AI駆動開発」を活用すれば、複数プロダクトを短い期間で同時開発できる!
では、Ripplingのようなコンパウンドスタートアップ戦略を実現するには、莫大な資金と人材を集めなければならないのでしょうか?必ずしもそうではないと考えています。
近年登場した新たな開発パラダイム「AI駆動開発(AI-driven development)」を活用すれば、限られたリソースでも、複数のプロダクトを短期間で同時に立ち上げることが可能になりつつあります。
AI駆動開発とは、プロダクト開発のあらゆる工程(要件定義、仕様書作成、設計、コーディング、テスト、ドキュメンテーション、リファクタリングに至るまで)をAIと共同で進める開発スタイルです。従来、各プロダクトで人力で行っていたこれらの工程を、AIがサポート・自動化することで、1人あたりが扱える開発スコープの広さが桁違いに拡大します。
特に以下のような領域では、AIの支援が劇的な生産性向上をもたらします。
- 要件整理・設計補助:自然言語での要件記述を構造化し、設計ドキュメントの草稿を生成
- コード生成・レビュー:CRUDベースの画面やAPIの自動生成、コードレビューの効率化
- テストコード生成・自動実行:ユニットテストやE2Eテストのカバレッジ拡張と品質担保
- ナレッジ共有・ドキュメント化:開発プロセスを記録・可視化し、他プロダクトへ再利用可能に
つまり、AIが「開発の地ならし」と「手数の肩代わり」をしてくれることで、少人数チームでも複数のプロダクトを一気に開発・改善できる時代が来ているのです。
たとえば、あなたのチームが3人しかいなくても、「AIエンジニア」が10人分の作業を裏で担ってくれるようなイメージです。これは、従来の「一点集中」に依存せざるを得なかったスタートアップにとって、大きな発想転換を促す武器になります。
正しくAIを活用すれば、「少数精鋭 × 複数プロダクト × 高速展開」が両立できる時代が到来しているのです!